2018年 02月 10日
左川ちか全詩集より 散文『ノエルを待ちつつ』
P152
ノエルを待ちつつ
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かしこい御婦人達はいつもお菓子屋のウインドウグラスに唇を押しあて、そのデコレイシヨンを眺めながら、まあなんてきれいなんでしょ‼ とカン歎する。一度も食べたいと云つたことがない。またお茶とお菓子の季節ですね。黄や赤や、或は白に紫に、何と花が咲いたやうに美しく街の両側を埋めてゐることでせう。
花といへばあなたは何がお好きですか。あなたをとりまく限りない色彩におぼれることのないやうに、夜会には是非かほり高い蘭の花をお進めいたします。造花を胸に飾ることはもう古い。ひたひにすべり込んでゐる黒いベレの下から小さな小さな黄の菊の花を挿してレストランから飛び出るやうな気のきいたお嬢さんはいらつしやいませんか。その季節、その時のドレスに似合つた生々した花、それこそあなたのシンボルでせう。夜更けて、自動車の窓から凋んでクシヤクシヤになつた赤い花を捨て去る妙味をあなたは愛しませんか。ではサヨナラ。
1933年(昭和8)年12月15日エスプリ社発行の《エスプリ》の後記「ノエルを待ちつつ」欄に「s.s.c.c.」の署名で発表。22歳。
ノエル(Noël、Noel 英語: [nouˈɛl,ˈnouəl]、フランス語: [nɔɛl]). フランス語でクリスマスの季節や歌(クリスマス・キャロル)のこと。
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左川ちかの散文は少ないのですが、左川ちかの別な一面を知ることができます。
詩をいったん休み、散文を紹介したいと思います。
左川ちかの詩はシューリアリズムの絵の様に、言葉のつながりに意味をさがそうとすると、拒絶されてしまいます。しかし、彼女の詩における言葉の組み合わせは、強い緊張感、死に対する不安感など鮮烈なイメージを作り出します。
散文では、人が変わったように抒情的なイメージを描いています。
左川ちかも微笑むことがあるんだと可愛らしく思ってしまいます。
まるで、詩ですり減った魂を潤すかのようです。