2017年 10月 25日
映画の話 「静かなる情熱 エミリ・ディキンスン」を観ました。
《エミリ・ディキンソンの詩》
詩人とはランプに火を灯すだけで
自分自身は、消えていく。
芯を刺激して、
もし命ある光を、
太陽のように受け継ぐなら、
それぞれの時代はレンズとなって
その周辺の広がりを
拡張していく。
「静かなる情熱 エミリ・ディキンスン」を観ました。
アメリカの片田舎に住み、自宅の敷地の外に出ず、一生独身で生涯を終えた一人の女性詩人を描いた映画です。
その女性はアメリカを代表とする詩人「エミリ・ディキンスン(1830~1886年)。享年56歳。時代はアメリカ南北戦争(1861~1865年)をはさんでいます。詩作を生きる糧とし、ひたすら詩を書いていなが、生前は10篇の詩だけが発表されたのみで、無名の存在でした。
エミリ・ディキンスンの秘めた心の葛藤と静かな日常生活が描かれます。
父の死・母の死・南北戦争・兄の不倫・信仰の問いへの拒絶・恋・真摯に取り組む詩作・病気・死などのエピソードによってディキンスンを深掘りしています。
ディキンスンは、当時のアメリカのそしてディキンスンの周りの伝統的な抑圧的な考え方に反発をしながらも、鋭敏な自由な精神・感覚を封じ込めなければならなかったのです。その抑圧されたエネルギーが詩作へと強く向かわせるのです。
ほとんどの人が伝統的なキリスト教を生きる規範としているアメリカの片田舎です。ディキンソンは、自分の意思で納得していない神への信仰を強制されことに強く反発します。ディキンソンは、決して無神論者ではないのですが、強制された信仰ではなく、現在生きている自分の意思を優先させます。100年前のアメリカの片田舎では考えられない自立した考えと行動だったのでしょう。強く自分の意思を示す姿は、「新しい女性」の出現を感じさせます。しかし世間は受け入れるはずはありません。
父親の権威、兄の家長の威厳、教会の信仰の強制に強く反発し、彼女が本当に信じることができる何かを探す家にこもる日々を選びます。その何かが「自分の思いを詩に書くこと」だったのです。真実を詩に置き換える情熱を心に秘めた半生だったのです。
生前はめったに自宅の敷地から外に出ず、人との付き合いも限定された人達だけでした。
しかし、死後、1800篇にのぼる詩が発見され発表さると、多くの人に感動を与え、最大級の評価を受け、多くの人に愛されています。
書ききれないので、以下、箇条書きです。
〇 若い頃は妹や友人と諧謔にとんだ話でよく笑い、兄オースチンの結婚を心から喜び、嫁のスーザンと仲良くなる。決して暗い内向的な性格だけではない。
〇 妹や親しい友との会話は諧謔とウイットに満ちていて、言葉に敏感な詩人の資質を表現していた。
〇 非常に自分自身のの意思を大切にして、自分の良いと思う考えに忠実な人であり、一方、自分を抑えるような違う意見に対して非常に強い反発を持つ。
〇 その攻撃的な舌鋒は鋭く、相手を叩きのめすほど、そういう攻撃的な自分の性格に深い反省と悔いを持つが、ときとしてその衝動を抑えきれない。
100年以上前のアメリカを舞台にした詩人の映画です。
分からない・理解できないことがたくさん残りました。
しばらくエミリ・ディキンソンに浸ってみようと思っています。