画家・神田日勝について

神田日勝は私の好きな画家の一人です。

神田日勝と会ったことはありませんが、私が十勝に長く住んでいたこともあり、ある時期に同じ十勝の空気を吸っていたことを後に知りました。

でも、当時、私は、神田日勝が十勝鹿追町の農業者で画家であることは全く知りませんでした。

最初に出合った日勝の作品は、1970年(昭和45年)7月、25周年記念全道展帯広巡回展で観た日勝の最後の完成作『室内風景』です。

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私は、この『室内風景』に不思議な存在感を感じ、しばらくの間、作品の前から離れることができませんでした。

独りの男性が、新聞紙貼り付けた室内で、膝を立て腕を組み、ジッとこちらを見つめて座っています。男性の前に置かれた人形、タオル、魚の骨、果物の皮、日常品などは一見乱雑ですが、まとまりを感じさせます。計算されて配置されていることが素人の私にも分かります。タオルのピンク色、人形の服の赤、急須の蓋の赤が効果的に使われています。

私には置かれている静物が死を象徴しているように見え、男性には虚無的な雰囲気を感じました。作品の出来などは分かりませんが、強く記憶に残っています。

画集「神田日勝」の年譜によると、日勝はこの7月の巡回展の会場設営中に高熱を訴えます。8月、体の不調が続き、12日、入院。25日、腎盂炎による敗血症により死去(32歳8か月)。

次は、神田日勝の『馬(絶筆)』の思い出です。

1993年、鹿追町に神田日勝記念館が開館しました。私は日勝の絵を見るため、何度も記念館に通いました。その記念館の一番奥に展示されている作品が『馬(絶筆)』です。

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ある時、私は、東京の大学教授(女性)を車で十勝の案内をすることになりました。

教授に十勝の画家として神田日勝を紹介すると、『馬(絶筆)』をご存知でした。

当時、マスコミは『馬(絶筆)』を取り上げ、日勝の名前は全国的に知られるようになっていたのです。しかし、本物の作品は記念館でしか見ることができません。

教授の「是非見たい!」という言葉で、記念館に向かいました。

記念館入口から順に日勝の作品を観ていきました。ところが、教授は、『馬(絶筆)』の前に立つと全く動かなくなりました。「心ここにあらず。」状態です。

私は、「この作品には不思議な力があり、絵に魂を持っていかれる。」と話すことがあります。

日勝のほとんどの作品はベニヤ板に直接書かれています。日勝のこの絵の描き方は、全体の大まかな構図や色や静物をスケッチして、徐々に細かく筆をいれていくのではなく、いきなり馬の頭部から完全に仕上げていくのです。日勝の死去により、馬は頭部から胴の半分までがリアルに仕上がった状態で中断しています。しかし、そのリアルさによって、馬は異次元の空間からベニヤ板に浮き出してきたように見え、見ている人の心にいろいろな思いをかきたて揺り動かし、強く訴えてきます。

長い時間が過ぎました。教授が東京へ戻る飛行機の時刻が迫ってきました。


―― 先生、そろそろ時間ですが・・・・・

―― えっ、ハイ・・・


我に戻った教授は、作品を振り返りながら出口に向かいます。

出口の前で、教授が急に立ち止まり・・・


―― ごめんなさい。もう一度観てきます。


小走りで『馬(絶筆)』の前に行き、数分間ジッと見つめ出口に戻りました。

空港に向かう車の中で、明るい教授が無口です。
ポツリと・・・・・言いました。

―― 日勝は、最後まで描きたかったでしょうね・・・・


Commented by hidarikiki at 2018-10-31 18:59 x
日勝さんの、鹿追自宅に行き生前会ったことあります
うっすら記憶だけですが(^^)
Commented by hitoshi-kobayashi at 2018-11-01 04:29
> hidarikikiさん
訪問、コメント、ありがとうございます。
神田日勝の家は、笹川地区だったと思います。
奥さんのミサ子さんは、鹿追町の北鹿追の出身だったと記憶しています。
50年前ですが、北鹿追の廃校になった小学校の廊下に日勝の絵がかかっていました。
寄贈したのではないでしょうか。数年後に外されていました。
どんな絵だったか忘れましたが・・・・
今後ともよろしくお願いします。
by hitoshi-kobayashi | 2018-09-09 08:00 | Comments(2)