詩「にれの町(札幌)」、百田宗治著『中学生 詩の本』から

百田宗治著『中学生 詩の本』明治図書出版 1954年(昭和29年)。

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百田宗治は、童謡「どこかで春が」の作詞者です。

本著で、百田は、中学生・小学生に詩の味わい方・楽しみ方を分かりやすく教えています。

百田は昭和20年に北海道に疎開、3年ほど札幌市円山に住んでいました。その間北海道の児童詩・作文教育を指導し、道内各地の校歌を作詞しています。

本著の中から、札幌の歴史をつづった詩を紹介します。

百田自身が、「小学校の五・六年から中学校にかけての多くの国語教科書に使われている。」と、述べています。

やや長い詩ですが、とても分かりやすいので、全文を紹介します。本著では詩の語句間に空白があります。百田の工夫で、子どもたちが詩に使われる言葉の一語一語をかみしめ・内容をより理解できるように空けたものと思われます。


にれの町 百田宗治


見わたすかぎりの ささ原や、沼や、湿地や、林やの なかに、

高い にれの 木が 一本 あった。

幹や えだが もえあがるように 天の 方を 指し、

春に なると いっせいに 青い 芽をふいた。

それから、ちいさい きらきら 光る 葉が いっぱい 出た。

葉が かさなりあうと、ささ原の 上に 美しい 影が できた。

夏の あつい 日ざかりに、うさぎの 親子が その 下に きて やすんだ。

えだから えだと わたりあるいて、

その 上で、しまりすの 子どもたちが 追っかけっこを して 遊んだ。

山ばとが 鳴いた。

ふくろうが友だちをよんだ。


    *

秋、

それから 冬。

いちめんの 銀世界。

ふっても ふっても、雪の したから あたまを もちあげる ささ。

しかが 群れを つくって、その 葉を たべに きたかも しれない。

(その ころは、 まだ 北海道にも しかが たくさん いた)

その 沼地や、林やの 向こうに、

まるい 山や、三角けいの 山が いくつも かさなり、

その あいだから、原っぱの まんなかを つっきって、

川が ひとすじ ながれて いた。

夜に なると、きつねが 鳴いた。

山の かげが くろぐろと 迫った。

さむい、お月さまも こおりそうな 冬の ばんに、

その 山の 上で、おおかみも ほえたかも しれぬ。


    * 

そんな 自然を のせたままで、

地球は あきないで、なんど、太陽の ぐるりを まわった ことだろう。


    *

にれの 木は、なにも かも 知って いた。

あいかわらず、うさぎや、りすを あそばせて いた。

たいくつ すると、大きい あくびを して、

おなじ なかまの 木や、かしや、ならや、いちょうなどに 話しかけた。

空を 行く 雲に ものを 言いかけたり、

いつまでも ひとりごとを 言いならべて いたり した。

――そして、ある 冬の さむい 日、

にれの 木は、はじめて 自分の 方に 近づいて くる みなれぬ 人間たちのすがたを 見た。

いちめんの 根雪の 上に、

また 白い 粉雪が ふりつもって いた。

人々は 武者ばかまの 上に じん陣羽織のような 外とうを かさね、

腰には、みんな まだ 刀を さして いた、

人々は 大きな 絵図面を ひろげたり、

みなれぬ 測量機械を はこびこんで きたり した。

 


    *

それから 大ぜいの 人が はいりこんだ

あちこちに ちいさい 小屋のような ものが 作られた。

木を伐ったり、土地を 掘り返したりする しごとが はじまった。

しかは あわてて 山の おくに 逃げこんだ。

ささ原の なかの うさぎは、 追われて ぴょんぴょん はねまった。

りすだけが まだ 木の えだに のこって、

人間たちの することを ふしぎそうに ながめて いた。

しかし、きつねの 声だけは まだ きこえた。


    *

やがて、ひろい 大きい 道路が できた

それから 方々に 家が 建った。

お宮が できた。

学校が つくられた。

工場の えんとつから、けむりが 白く あがりはじめた。

まも なく、停車場が できあがって

鐘を かんかん たたき鳴らしながら、ふしぎな 外国製の 機関車が とおった。

 


    *

にれの 木は なにも かも 知っていた。

にれの 木は なにも かも 見て いた。

――しかし、気が ついた とき、

うさぎや、りすは、もう 自分の そばに いなかった。

きつねの 鳴き声も きこえなく なった。

にれの 木は、自分だけを 道ばたに のこして

りっぱな コンクリートの 道路が まっすぐに 走って いるのを 見た。

赤れんがの がっちりと した 建ものが 自分を とりまいて、

おおぜいの 学生が、自分の したを にぎやかに 話しあいながら とおりすぎるのを見た。


    *

時計台から、時刻を 告げる 鐘の 音が 大きく ひびいて きた。

にれの 木は はっきりと 目を さました。

そして、青い 葉で いっぱいの からだを ゆすりあげながら、

ひさしぶりで 高い 空を あおいだ。

晴れわたった 空には、昔と おなじように 白い 雲が ながれ、

町を とりまく 山々が、顔を 見合わせて かれに あいさつした。

かわりの ないのは、君と ぼくたちだけだなあ。と いうように。


北海道の さっぽろの 町が こうして できた。


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Commented by nayacafe-2950 at 2018-09-13 08:26
ちょっと、うるうる・・・
変わりゆく情景が手に取るように感じられて。
楡の木が残されたのでほっとしましたが・・・

絵本のバージニア・リー・バートン<ちいさいおうち>を
読んだときと同じような感覚でした。

変わりゆく情景をどう感じとるか・・・
Commented by hitoshi-kobayashi at 2018-09-13 08:56
> nayacafe-2950さん
コメント、ありがとうございます。
この本では、読者を小中学生としているため、彼の優しい詩がたくさんのっていました。
後日、紹介したいと思っています。
一方で、百田宗治は民衆派詩人として、骨太い作品もあります。
「左川ちか」の周辺には、いろいろ興味深い詩人たちがいます。

Commented by jyon-non at 2018-09-13 13:01
ホッとします。こんな穏やかな詩をご紹介下さって感謝です。その頃私は生まれていました。小さな小さな幼児でした。 
この御本の表紙も素敵です。本屋さんにあれば買いに行きたいくらいです。・・
Commented by hitoshi-kobayashi at 2018-09-13 14:50
> jyon-nonさん
コメント、ありがとうございます。
百田宗治は、1926年詩誌『椎の木』を主宰創刊し、左川ちかが詩を発表しています。
その後、百田は子どもたちの作文教育の地道な活動をしています。
多くの学校の校歌を作詞しています。
後日、この本にのっている他の作品を紹介したいと思っています。
by hitoshi-kobayashi | 2018-09-13 08:00 | Comments(4)