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本の話 岩田崇著「松林図・月夜(夕日の)松林図研究」能登印刷出版部発売 

岩田崇著「松林図・月夜(夕日の)松林図研究」能登印刷出版部発売 2015年(平成27年)

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長谷川等伯筆・国宝「松林図」と弟子の手による「松林図」の模写と一般にいわれている「月夜(夕日の)松林図」の研究です。


上段が「松林図」。中央に台形の白い山が描かれています。

下段が「月夜(夕日の)松林図」。左上隅に丸い月(夕日)が描かれています。



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著者・岩田崇の略歴は最後に述べますが、日本画の画家であり金沢美術工芸大学の教授でした。


岩田崇は、製作者の立場から製作過程を検証する技術的な解析と合わせて、二つの「松林図」は最愛の息子を亡くした等伯の心の動きが表現されていることを明らかにしていきます。

この研究の緒論で岩田崇は結論を先に述べています。引用します。


松林図について。

「(前略)元はもう少し大きな障壁画の下図で、のちに屏風に仕立てという説、右隻(うせき)と左隻(させき)との入れ替え説、各扇の改編説などが述べられている。(中略)可能性は全くない。」。

「紙継の乱れを解き明かし、他の疑念にも明確に答えて、この名作に対する愚かしい疑念を一掃したい。」

「もともと屏風に仕立てたものと断定できた(略)。」


月夜(夕日の)松林図について

「等伯が渾身の力を振り絞って描き上げた、疑いのない真筆である。」

岩田崇は日本画の製作者の視点から、「松林図」製作過程を解剖していきます。私はこの部分で説明されている日本画の製作過程の指摘に驚きました。知らなかったことばかりです。


〇 当時、紙は非常に高価であった。

〇 大きなサイズの紙は作れなかった。

〇 「松林図」は全体(左隻+右隻)で40枚か42枚の紙を継ぎ合わせている。

〇 継ぎ合わせ技術の難しさ。

〇 墨で描く技法の難しさ。

〇 「松林図」は、400年前に等伯が描いた時点から経年変化が起きている。


経年変化の指摘は、新鮮でした。私は、現在の「松林図」を等伯の完成品として観てしまうのです。しかし、400年の時間は「松林図」に微妙な変化を起こしているはずです。その変化の結果を観ているのだと知らされました。


等伯が「松林図」を描いた動機は、夭折した息子・久蔵の鎮魂であり、「松林図」製作に全力を注ぎながらも、悲しみ、無常による心の揺れが「松林図」に表れているとしています。等伯自身は「松林図」に満足できず、「月夜(夕日の)松林図」を描いた、と論を進めています。さらに「月夜(夕日)の松林図」では、「月」と言われているが、等伯は敬虔な法華の信者であり、教祖日蓮は日輪であり、月ではなく日想観を意識した夕日なのかもしれない、と述べています。


私は、昨年11月の京都での国宝展で国宝・「松林図」を観ることができました。想像していたよりもはるかに大きな雄大な作品でした。墨の濃淡を駆使して描かれた松によって霧を感じ、平面に描かれているはずの霧の向こうに立体的に無限に広がる空間を感じました。

国宝・「松林図」を観た経験は、私の宝物です。


岩田 崇(いわた たかし) 略歴 本著より抜粋

1942年 石川県羽咋市に生まれる。

1965年 金沢美術工芸大学卒業 石川県職員となる。

1984年 院展同人今野忠一の画塾・旅人会に入る。

    第39回春の院展入選(以後春・秋27回入選)

1997年 金沢美術工芸大学助教授・翌年教授となる。

2002年 院展、画塾旅人会退会。

2006年 大学を去る。

20012013年 個展多数。

2015年 本著発刊


by hitoshi-kobayashi | 2018-11-16 08:00 | Comments(0)