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本の話 舟越桂著「言葉の降る森」角川書店1998年

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著者・舟越桂は彫刻家です。


制作する彫刻は、具象の木彫彩色の人物像です。どこかで何度も目にしていて、遠くを見つめる彫刻の人物は強く記憶に残っています。

本は、舟越の彫刻作品、ドローイング、エッチングの写真とエッセイで構成されています。

100頁に満たない本ですが、舟越の創作の秘密の一端を覗くことが出来ます。

そのエッセイから、いくつかを紹介します。


「思考を超えて」

彫刻制作の目的をこう述べています。

――人間がどんなものなのか知りたがっているのかもしれない。


「まずデッサンを一枚仕上げてから」

制作の開始にについて。

――作品とほぼ同じ大きさのデッサンを仕上げてから木にかかる。

舟越は制作に時間をかけ、急がない。発酵するのを待つのでしょうか。


「木の色に助けられて」

舟越は普通の服装をした木彫人物像を彫ります。それに彩色します。サラリと言います。

――普段、裸の人間をみているわけではない。

彩色することについても同様です。

――色がついて見えるものを淡色に置き換えると云うことは抽象的といえる。ぼく自身も服を着た人を自然に表現しようとしたら、必然的に彩色に行き着いた。


ギリシアのパルテノン神殿の彫刻もアジアや日本の仏像も昔は彩色されていたと言います。仏像は知っていましたが、パルテノン神殿はビックリしました。ギリシアの青い空と白い神殿の写真が、頭に刷り込まれていました。


「三十年以上も父を待たせてしまった」

舟越桂の父は、彫刻家舟越保武です。

舟越保武は長崎の「日本二十六聖人像」の制作者です。私は一度長崎を訪問し、この彫刻を見ました。素晴らしい作品です。

舟越桂は、父・保武の力作であるこの完成作品を30年以上も見てなかったのですが、ふと見るだけのために飛行機に乗り、長崎に行き、作品と対面します。そして、子どもの頃にこの作品を船越保武が制作していたことが思い出します。像を見つめる舟越桂は、ある像の視線の向こうに父に繋がる入口を見出します。父・保武は一度も息子・桂に自分の力作を「見に行かないのか?」とは聞きませんでした。息子・桂も行かない理由はなかったのです。きっかけ、ゆとりがなかっただけだと・・・。でも、30年以上も経っています。私は、父と息子の関係だけでなく、芸術家・彫刻家としての関係の微妙さ感じます。このエッセイの最後を引用します。

――暗くなってしばらくしてからその場を去り、丘の下のコンビニエンスストアーの公衆電話から母に電話して、思ったことのほんの少しを整理して言って、今は半身不随の父に伝えてくれるように頼んだ。それ以上言おうとすると声が震えてくるので多くは口にしなかった。ただ私はひとつだけ直に父に伝えたほうが良いと思っている。三二年間ずっと見に行きたいと思っていたことを。


この本は古本屋で一冊100円の棚にありました。

この本を読むことで、とても豊かで実りある時間を得ることが出来ました。価値ある100円です。

この出会いは、まだ終わりません。

舟越桂の母・舟越道子は俳人なのです。この本に舟越道子の本を紹介する角川書店の折り込みが入っていました。本を買います。読んでみます。


パルテノン神殿の像のレプリカ(インターネットからお借りしました。)

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日本二十六聖人像(インターネットからお借りしました。)

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舟越桂オフィシャルサイト

http://www.katsurafunakoshi.com/menu.html


by hitoshi-kobayashi | 2019-02-06 08:00 | Comments(0)