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本の話 佐藤忠良著『つぶれた帽子 佐藤忠良自伝」 中公文庫 2011年8月

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彫刻家。佐藤忠良は、人生で出会い、影響を受けた人々・友人を回想しています。

その中から、ほんの数人ですが紹介します。


忠良は、宮城県生れです。1919年(大正8年)6歳の時に父・忠四郎が亡くなり、母の実家の移住先・北海道夕張町(現夕張市)に移ります。1919年、夕張町の人口は4万5千人を越えていたそうです。夕張へ財閥系の企業が進出し、多くの石炭鉱山が開鉱していました。


《母》

忠良は、母・幸から人として真直ぐに生きる姿勢を教えられます。また、母・幸は、子供の教育の大切さを理解している女性です。母・幸は、貧しい辛い生活ながらも、小学校卒業後(13歳)忠良を札幌の中学に学ばせ、中学卒業後、忠良を東京へ絵の勉強のため送り出します。

『母の顔』1948

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《坂下作治》

忠良は、夕張第一尋常高等小学校に学び、最後の二年間に接した坂下作治先生の自由な教育姿勢に影響を受けます。
―― 他の授業をしているときでも。「忠良は絵を描いていていい」といってくださることが、たびたびあり・・・・・・
坂下は忠良の絵に何かを感じていたのでしょう。
忠良は、「彫刻への最初のきっかけをつくってくれた気がする」と回想しています。


《岩瀬久雄》

札幌の中学に進学した忠良は、北大植物園で偶然に岩瀬久雄(23歳)と出会います。岩瀬は、群馬出身で北大の畜産課に勤務しています。忠良は共同生活することに誘われます。岩瀬は、忠良に自炊生活の仕方を教え、スポーツ(スキー)の楽しさを教え、山に登り、動物を飼いました。出張のときは忠良を同行させ、出張旅費の半分を忠良に渡した事を回想しています。トンデモナイ人です。

忠良は、生きる楽しさ、人を信じることの素晴らしさ、大切さを学びました。


《伊福部昭》

札幌二中(現西高等学校)で絵画部に入ります。ここで後の東京音楽大学の学長・伊福部昭(1914年〈大正3年〉― 2006年〈平成18年〉)に出会います。映画『ゴジラ』の作曲者として有名です。忠良は、将来彫刻家になることを予言するかのような、その頃の伊福部の言葉を覚えています。「運は寝て待つのではなく、練って待つものなんだ。」


《船山馨》

生涯の友・船山馨(1914 - 1981年)にも出会います。後に作家になり、代表作は『石狩平野』。忠良は、船山のいくつかの作品の挿絵を描いています。ちなみに、船山はプロ並みの画力だったそうです。

中学を卒業した忠良は画家を志し、東京へ出ます。船山との共同生活が始まりますが、船山は北海道に戻ります。本著の後半、病と闘いながら執筆活動を続けていた船山の死について書かれます。私は、その最後の部分に息をのみました。引用します。

―― 死の朝、知らせを受け駆けつけると、ベッドの足下の壁に、寝ながら見えるように私のロダン美術館でのポスターが貼ってあって、枕もとには私が作ったブロンズの女の顔のメダルが置いてあり、いつも握っていたと、春子夫人が笑みを浮かべて語ってくれた。

 その夫人がその夜、突然心臓が止まって彼の後を追っていってしまった。この夫婦は私にもの創りの人間は、このようにして死ぬんだという生きざまをみせてくれて死んでいった。


《舟越保武、柳原義達、本郷新、山内壮夫》

忠良は二年後彫刻の道を選び、東京美術学校を彫刻科に入学。生涯の友・舟越保武に出会い、共同生活を開始します。さらに将来、日本の彫刻界を牽引する柳原義達、中学の先輩・本郷新、山内壮夫に出会います。忠良は彼等を同志と呼びます。忠良が、これらの人々から受けた刺激、影響は計り知れません。


《妻・照》

忠良は28歳で吉田照(25歳)と結婚します。妻・照が生活費を賄っていたようです。芸術家が芸術だけで家族の生活を支えることはとても難しい事なのでしょう。ここでは、忠良は妻・照について多く語りませんが、忠良の最良の理解者であることは間違いありません。


《兵役、シベリア抑留で出逢った人たち》

1944年(昭和19年)、招集され満州に渡ります。ソ連軍に追われ、終戦を知らずに満州で一ケ月間逃避行の後、ソ連軍に投降。三年間、シベリアに抑留されます。忠良は、淡々とこの間のことを書いています。辛い厳しい軍隊、抑留生活の中で出逢った人たちに人間の本質を見いだし、多くの死に出会い、戦争の悲惨さ無意味さに憤ります。

そんな生活の中で、忠良は「創るとは?」の問いに、一つの答えを見いだします。引用します。

―― こういう極限環境の中で面白いと思ったのは、話すこともなくなると、みんなが何かを削り出したことであった。自分で使うスプーンや配給たばこのパイプを作るのだが、できあがったスプーンなどは、心なしかそのひとに似た形になるのが多かった。裸電球の下でペチカを囲み、黙々と掘る後ろ姿を見ていると、「俺は生きているんだ!」と背中が叫んでいるようにさえ見えた。


《桑沢洋子》

復員後、忠良は、洋裁学校の学長だった桑沢洋子から学校でデッサン仕方を教えることを依頼されます。忠良が教育にかかわる発端です。桑沢洋子は発想が飛躍していて、なおかつ実行力のある女性だったようです。後に東京造形大学を立ち上げます。とても魅力的な人です。


《笹戸千津子》

笹戸は、忠良が教える東京造形大学の彫刻教室第一回卒業生です。忠良から彫刻を学ぶだけではなく、多くの作品のモデルを勤めています。北海道各地に笹戸が制作した作品があります。

笹戸が、師・忠良の創作に向かう姿勢の厳しさにふれたエッセイを読んだことがあります。

師・忠良は、笹戸が気の緩みから起こしたミスを強く叱り、笹戸は破門されそうになり、徹夜で作り直したそうです。

忠良は、本著の中では自分自身を淡々とした職人風の人間として描いていますが、彫刻や絵画に向かうときの、精神性の高さや、強靭な精神の強さ、烈しさを抑えているようです。

笹戸千津子制作『彫刻家 95

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私は、佐藤忠良の伸びやかな女性像や、愛くるしい幼い子供の彫刻が好きです。

札幌芸術の森野外美術館に忠良の作品が多くあります。

私は、忠良の作品に会うために何度も足を運んでいます。

樹木に囲まれた小路の奥に置かれて作品たちは、会うたびに違う表情で迎えてくれます。

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by hitoshi-kobayashi | 2019-07-28 08:00 | Comments(0)