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堀尾真紀子著「フリーダ・カーロ 引き裂かれた自画像」中央公論社 1991

本の話 堀尾真紀子著「フリーダ・カーロ 引き裂かれた自画像」_f0362073_10355717.jpg

著者・堀尾真紀子は、初めてのメキシコシティ訪問の時、近代美術館で奇妙な絵に出逢い衝撃を受けます。

画題は『二人のフリーダ』1938年、フリーダ・カーロ(190776 - 1954713日)の自画像です。

本の話 堀尾真紀子著「フリーダ・カーロ 引き裂かれた自画像」_f0362073_10361644.jpg


本の話 堀尾真紀子著「フリーダ・カーロ 引き裂かれた自画像」_f0362073_10362860.jpg

――(略)それは美しいという絵ではない。一言でいえば怖い絵だった。私の中にある曖昧さやあせりや不安を、その真っすぐな目で見抜かれつきつけられたような落ち着かないものがよぎった。(本著より引用)


翌日、堀尾真紀子は、旅行の予定を変更して、フリーダが暮した家〈青い館〉を訪れます。

そこで、フリーダが残した不思議な数々の遺品をみることになります。

民族衣装、巨漢の中年男との写真、日記帳、車椅子、ベッドの上に置かれたコルセット、マルクス・レーニン・スターリン・毛沢東の肖像写真・日本人形・・・・・・

さらに、インディオのガイドからは、「スターリンとの政争に敗れたトロツキーは、メキシコに亡命し、この家に二年間住んでいた」、と説明を受けます。

堀尾は一旦日本に帰ります。しかし、彼女の心の中に湧き起こる、「フリーダ・カーロとは何者なのか」、「何故彼女の絵から強い衝撃を受けるのか」の疑問を押さえることができません。

堀尾は、フリーダ・カーロの真実を探すために、メキシコへもう一度旅立ちます。

堀尾は、メキシコでフリーダ・カーロの足跡を丹念に追います。

フリーダ・カーロが作品から、彼女の心を読み取ります。フリーダ・カーロを知る人のインタビューからフリーダ・カーロの生身の言動を探ります。

知れば知る程にフリーダ・カーロの壮絶な人生の〈痛み〉とそれに立ち向かう姿勢に圧倒されます。

子供のころから繰返し襲う身体的ダメージ、それに伴う身体的痛み・・・・・・。

愛する男性から繰り返される裏切りの精神的ダメージ、だが、男性を忘れ、関係を断つことのできない精神的痛み・・・・・・

フリーダ・カーロは、自身の〈痛み〉から眼を離さず、作品にその〈痛み〉を描き、昇華しようとします。

私は、図版でしかフリーダ・カーロの絵を確認できていません。それにもかかわらず、絵から迸る彼女の〈痛み〉の大きさと観る者を射抜くような強い視線に、直視することが辛くなります。


フリーダ・カーロの最後の作品は自画像ではなく、西瓜を描いています。

『人生万歳』1954

本の話 堀尾真紀子著「フリーダ・カーロ 引き裂かれた自画像」_f0362073_10365861.jpg

その西瓜の切り口に書かれている言葉は・・・・・・

VIVA LA VIDA ビバ・ラ・ビダ 〈人生万歳〉


日記の最後に綴られた、人生の最後の別れの言葉。

―― 出口の楽しからんことを・・・・・・

そして二度と再び帰らぬことを願いて・・・・・・

            フリーダ――


フリーダ・カーロは、壮絶な人生を生き抜き、死を恐れていません。


以前、Blogでフリーダ・カーロに触れています。覗いて下さい。



下記のサイトで、フリーダ・カーロの作品を知ることが出来ます。



by hitoshi-kobayashi | 2020-01-28 08:00 | Comments(0)

本の話 斉藤倫著「ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集」福音館書店

本の話 斉藤倫著「ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集」_f0362073_08231546.jpg

実は、この本のカバーや挿絵を担当しているのが、私が大好きな漫画家「高野文子」。

この本を購入した理由は、本のとんでもなく長いタイトルや著者・斉藤倫に惹かれたのではなく、「高野文子画」の文字とカバーに書かれたイラストが目に入ったためです。

ところが、いざ読み始めると、斉藤倫の描く世界にすっかり魅了されました。

さすがイラストに高野文子を選んだ斉藤倫は、話が逆ですが、ただものではありません。


この本は、物語風のひらがなの多い詩論なのです。

登場人物は、多分小学4年生くらいの男の子(私の想像です。)、お友達(?)の〈おじさん(おそらく中年)〉の二人。

〈おじさん〉は、男の子の名前を知っているはずですが、彼のことを「きみ」と呼びます。ですから私は、ここでは仮に男の子の名を〈きみくん〉とします。

〈きみくん〉は、ときどき、学校帰りに〈おじさん〉の家にたちよります。

この本は、〈きみくん〉と〈おじさん〉との10篇のストーリーからできています。

10篇のストーリーは、〈きみくん〉から〈おじさん〉への詩についての質問から始まります。

〈きみくん〉と〈おじさん〉の関係は対等です。おじさんが〈きみくん〉の目線に降りてきます。

〈きみくん〉の質問はとてもシンプルです。が、逆に本質的な質問かもしれません。

〈おじさん〉は、〈きみくん〉の面倒な質問にも優しく丁寧に答えます。答えを解りやすくするためストーリー1篇に2つの詩を紹介します。

でも、〈おじさん〉は、その答えを「詩とは〇○だ。」「良い詩とは○○だ。」「詩は○○のように書くんだ。」とは決して言いません。

〈おじさん〉は、〈きみくん〉が自分で考えて「詩って、○○でいいんだ」と答えを出してほしいのです。


私も、詩を読むことが好きですが、読んで意味が分からない詩はたくさんあります。

私は、そんな時、あらためてこの本を読みたい思っています。


ところで、〈おじさん〉と〈きみくん〉の関係ですが・・・・・・

〈きみくん〉は、幼い頃におとうさんを亡くしています。

〈おじさん〉は、〈きみくん〉のおとうさんやおかあさんの友達だったようです。

〈きみくん〉のおとうさんは、たくさんの詩を書いていたそうです。でも詩集は出していません。〈おじさん〉は、詩を読むことは好きなのですが、詩人にはならなかったと言います。

「ストーリー9.ほんとうのこと」の終わりころを引用します。


(略)ぼくは、詩人にならなかった。きみのおとうさんが詩を書く。きみのおかあさんのとなりで、それを読む、それだけで、しあわせだったし、それがしあわせだったから、詩人になるひつようなんか、なかったんだ。(略)


〈おじさん〉と〈きみくん〉のおとうさん、おかあさんとの間に微妙な距離感を感じます。

私は、どうしても〈おじさん〉は、姿を変えた〈きみくん〉の亡くなったおとうさんに思えてしかたがないのですが・・・・・・。


私は、著者・斉藤倫について、全く知識がありません。

私は、今、斉藤倫を探してもっと読んでみようと思い出しています。





by hitoshi-kobayashi | 2020-01-22 08:00 | Comments(2)

竹中労を知っていますか?


竹中労著「芸能人別帳」ちくま文庫 2001

本の話 竹中労著「芸能人別帳」ちくま文庫 2001年_f0362073_15224065.jpg


竹中 労(たけなかろう、本名:つとむ、1928330日戸籍上では1930530日~ 1991519日)


竹中労は、ルポライター(トップ屋)、アナーキスト、評論家などたくさんの肩書があり、活動範囲は広く行動力があり、簡単に「〇〇な人間」と定義できません。竹中労の、マルチで舌鋒鋭い言動は、カリスマ的人気を得ていた時代がありました。

本著「芸能人別帳」は、1970年代、竹中労40歳頃の精力的な芸能評論です。

文庫のカバーに本著で取り上げた芸能人の名前が列挙されています。50年前の著作なので、芸能人のほとんどは故人となってしまいました。

本著は、第一番「渥美清を叱る!」から開演です。

竹中労が渥美清の取材でアポをスッポカサレ、渥美清のマネージャーからワビが入ったが、渥美清本人からでないことにブチ切れた顛末です。

竹中労は、渥美清が浅草六区で出演していたころの彼の姿を愛情こめて描写しています。

ルポライターらしく、

渥美清の父親・宮下愛山という政治記者だったこと、

渥美清が肺結核で入院していたとき、闘病生活を支えた愛人がいたこと、そして別れたこと、

など、かくれた渥美清の一面も書いています。

そして、竹中労は、人気が出て忙しいことを理由にアポをすっぽかした渥美清にこう書いています。


―― (略)渥美ちゃんよ、おまえさんも上にむかって堕落しちゃいないかい? 最近の渥美清、懸命にゴッタ煮のナベを、昔のアカを洗い落している風にみえる。庶民のサンチマン(*注)ってやつが次第に失われ、鼻もちならない大スターめいた糊づけのにおい、プンプンとまとわり付いとるのだ(略)。

サンチマン:フランス語、感情。感傷。


しかし、この渥美清の章のさいごは、

―― 小生、あんたのことが好きでたまらんから、あえて忠告しておる。わかってほしい。

と、結んでいます。


竹中労は、権力とか権威が大嫌いです。歯切れのいい独特の文章と視点で、心地いいくらいにバッタバッタとスターを斬っていきます。芸能史の裏側と芸能人の隠れた一面をたくさん知ることができます。竹中労は、たくさんの文章を書いたのですが、まとまった形の著作は意外と少ないのが残念です。


竹中労について、私的にいくつかの事。

〇 竹中労の父親は、画家・竹中英太郎(1906年(明治39年)1218 - 198848日)福岡県生まれの挿絵画家、労働運動家、実業家。江戸川乱歩、横溝正史、夢野久作の挿絵を描いた。

〇 竹中労は、全日本歌謡選手権1970年1月5日から19761225日、日テレ)の審査員であった。第7代チャンピオン天童よしみの芸名の名付け親であり、天童の発売第一作の作詞者です。

〇 竹中労は、イカスバンド天国(1989211日~19901229日、TBS)の審査員でした。ここでグループ「たま」を絶賛。「たま」を強く世間にアピールし、本まで書きました。

〇 私は、天童よしみがチャンピオンになったTVを見ています。

〇 私は、「たま」が変なバンドと思いながら、強く惹かれるものがありました。

〇 私は、鈴木義昭著「夢を吐く絵師 竹中英太郎」を持っています。

〇 私は、雑誌『ダカーポ』(dacapo198111月創刊~ 200712月休刊、マガジンハウス社))を購読。掲載されていた竹中労の評論のファンでした。


by hitoshi-kobayashi | 2020-01-13 08:00 | Comments(0)

『中原悌二郎の生涯 生命の彫刻』  

編集 生命の彫刻―中原悌二郎の生涯―編集委員会

発行日 1988年(昭和63年)923日 

発行所 旭川美術振興会 

中原悌二郎、1888年(明治21)~1921年(大正10)、享年32歳5ヵ月。

ロダン、萩原守衛の影響を受け、赤貧の生活を送り、病と闘いながら彫刻の制作を目指す。創作の姿勢は激烈で、納得できない作品は自ら壊してしまう。現存する作品は少なく。中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館が12点の作品を所蔵しています。


『石牟礼道子全歌集 海と空のあいだに』 石牟礼道子著 

発行日 20191030

発行所 株式会社 弦書房

私は、石牟礼道子の著書を全く読んでいませんでした。新聞で本著の書評を読み、背中を押されて買い求めました。石牟礼道子は、若い時から感受性の強い性格でした。若い頃の自殺未遂の歌から始まっています。面喰いました。石牟田道子は心の叫びを歌に詠むことで、昇華していたのかもしれません。

冒頭の一首を引用します。

友が憶えてゐてくれし十七のころの歌

ひとりごと数なき紙にいひあまりまたとじるらむ白き手帖を


『石牟礼道子全句集 泣きながら原』 石牟礼道子著

発行日 2015530

発行所 株式会社 藤原書店

石牟田礼子の文学活動は広範囲に渡ります。印象に残った二句、引用します。

  祈るべき天とおもえど天の病む

  にんげんはもういやふくろうと居る


『黒猫・アッシャー家の崩壊』エドガー・アラン・ポー著 巽孝之訳  新潮文庫

発行日 平成31年2月25日9刷

原民喜の『夏の花』に、『アツシヤ家の崩壊』の言葉があります。

原民喜の『死と夢』に影響を与えているのではないかと思い、文庫を買い求めました。

ポーの傑作だそうですが、正直、よく分かりませんでした。ポーを勉強しなければいけないようです。


by hitoshi-kobayashi | 2019-11-29 08:00 | Comments(0)

タゴールの詩『新月』を紹介しましたが、翻訳の良さに惹かれ、翻訳者・「高良(こうら)とみ・高良留美子(こうらるみこ)」を調べました。


高良とみ(こうらとみ)(189671 - 1993117日)は、日本の婦人運動家、平和運動家、政治家、戦後初の女性議員。多くの功績のある人だと知りました。まったく知らない人でした。私は、タゴールの詩の翻訳者として名前に触れながら素通りしていました。私の頭の中の狭さに自分で呆れ恥ずかしくなりました。九州帝国大学医学部の助手、日本女子大学校家政学部教授を歴任しています。タゴールに感銘をうけ、来日講演実現に尽力しました。


高良留美子(こうらるみこ)(19321216 - )は、日本の詩人、女性史研究者。夫は作家の竹内泰宏。 高良武久、高良とみの娘。東京生れ。母方の高祖父は田島弥平。東京藝術大学美術学部中退、慶應義塾大学法学部中退。1962年、詩集『場所』でH氏賞受賞。

私は、高良留美子を、持っている本のどこかで見た曖昧な記憶に気がつき、探してみました。探している途中、気になる別な本に寄り道をするので、なかなかたどりつきません。

ようやく、見つけました。

古本屋さんで何気なく手にした一冊「麻生直子編『女性たちの現代詩 日本100人選詩集』梧桐書院 2004年」、です。

本の話 高良とみ、高良留美子について。「麻生直子編『女性たちの現代詩 日本100人選詩集』_f0362073_08480827.jpg


その中から・・・・・・


妖精たち    高良留美子


北の国の森の窪地は

妖精たちのふるさと

たとえば


牝牛のお腹(なか)に忍びこみ

お乳を真っ黒に変えてしまう

いたずら好きの小鬼たち


私の生まれた家の

天井の高い書斎の本棚から

あの小鬼たちはとび出してきたっけ


かれらが困らせるのは

農家の意地わるの小母さんだつたか

それとも正直者のおかみさんだったかしら?


あれから負けいくさがつづき

本はどこかへいってしまい

わたしは物語を忘れてしまった


でもお前たちがいたことだけは憶えているよ

茶目っ気と 悪意をもった

陽気ですばしっこい妖精たち


悪を知り始めていた女の子に

かれらは青い表紙でとじた本のなかから

そっと仲間同士の合図を送ってくれた


わたしの傷ついた脳の上で

とんだり跳ねたりでんぐり返しをしたりして

不思議なリズムを響かせてくれたっけ



途中にハッとする二つの連がありました。


あれから負けいくさがつづき/本はどこかへいってしまい/わたしは物語を忘れてしまった

でもお前たちがいたことだけは憶えているよ/茶目っ気と 悪意をもった/陽気ですばしっこい妖精たち


易しい言葉で、「戦争による精神的破壊の恐ろしさ」、「その時に、憶い出し、支えてくれる子供の頃の記憶の大切さ」、を語っています。


by hitoshi-kobayashi | 2019-11-21 08:00 | Comments(0)

原民喜の作品を別Blogで掲載中ですが、昨日「華燭」をアップしました。


原民喜は、広島の悲惨な被爆を描いた作家として知られていますが、本作品は、終戦前、1939年(昭和14)に発表されています。原民喜独特のユーモア―を感じる作品です。

是非、原民喜の別な一面を知っていただきたく、本Blogで「華燭」を紹介します。

「華燭」は結婚式前夜の宴会から翌日の夜までを時系列に描いています。
原民喜は、1933年(昭和8)3月17日、永井貞恵と見合い結婚をしました。

作品にフィクションが入っていることは頭に置くことは大切ですが、新郎の駿二は民喜であり、新婦は貞恵がモデルでしょう。

ネタバレにならないように、作品からいくつか気が付いた点を挙げてみます。

主人公は駿二。ナレーターは駿二自身ではなく、第三者です。しかし駿二の内面をよく知っています。内面のもう一人の駿二か、ストーリーを構成する原民喜かも知れません。

駿二は、無職で生活力がないにもかかわらず結婚することが、親戚によく思われていない様子です。これは民喜が自覚していたことかもしれません。

前年に原民喜は自殺未遂事件を起こしており、民喜の親が、原民喜の生活態度を何とかしようとした結果なのかもしれません。
花嫁にとってはいい迷惑ですが、実は、花嫁は民喜とって最高の女性でした。

駿二は裕福な家で育ち、結婚式も豪華で盛大です。

花嫁とは見合い結婚。見合いの時も花嫁の声を聞いていません。民喜はもともと無口です。

それも極端な無口ですので、作品の中で他の登場人物との会話は殆どありません。むしろ結婚式を他人事のように視凝めています。そして、頼りないながら極端に真面目なのです。その効果が作品の最後の花嫁とのやり取りを強烈に印象づけて、秀逸です。思わず笑ってしまいます。

花嫁(貞恵)は、愛らしく勝気で、はっきり物申す性格らしい。

エピソードが流れるように描写され、まるで、長廻しの映画を観ているようです。原民喜は無口ですが、実は、周囲で起きた事象を細かく観察し、民喜の記憶ファイルに整理・保管しているようです。原民喜は、妻貞恵が呆れるほどの遅筆だったそうです。しかし、情景が眼に浮かぶような強い説得力があり、その描写力・筆力は簡潔でありながらしっかりとしたものを感じます。


本作品は、結婚後、原民喜が人生の中で最も幸せな時期に書かれたものでしょう。

作品発表後、1939年(昭和149月、妻・貞恵が肺結核を発病、闘病生活に入ります。


是非、「華燭」をご一読下さい。


by hitoshi-kobayashi | 2019-11-16 08:00 | Comments(0)

私は、本Blogで、原民喜の作品を何度か紹介しています。

私は、「定本原民喜全集」青土社刊を読んでいます。しかし、本全集は既に絶版です。原民喜の代表作「夏の花」は文庫として出版されていますが、それ以外の作品を入手することが難しいと分かりました。「夏の花」以外の作品も知っていただきたく、作品を掲載するBlogを別に開設しています。

現在、初期の作品群の『焔』、『死と夢』、『幼年画』を掲載しています。

それぞれを簡単に紹介します。


『焔』

64篇の初期作品集です、昭和103月に白水社より自費出版で刊行されています。

昭和8年に永井貞恵と結婚し、その後、本作品集刊行までの二年間に書きためた掌篇小説です。作品はそれぞれ短く断片的ですので、作家を志した原民喜の初期の習作と言えるかもしれません。しかし、内容は習作にとどまらず、結婚する前までの原民喜の心情を覗くことができます。

妻・貞恵は熱狂的な原民喜の理解者・支持者・応援者でした。自費出版も貞恵が民喜の背中を押さなければ実現しなかったでしょう。民喜は、貞恵に対し、自分を理解してくれる数少ない人間として強い信頼と愛情を持っていました。


『死と夢』と『幼年画』は、ほぼ同時期に書かれた作品群です。それぞれの作品は雑誌等で発表されていますが、当該タイトルの纏まった作品集は刊行されていません。原稿の形で残されていました。しかし、原民喜は、収録作品を選択し、纏め、タイトルをつけていたのです。彼にとって大切な作品群だったです。


『死と夢』

1936年(昭和11年)から1940年(昭和15年)にかけて発表された10篇の作品が収録されています。

原民喜は多くの死と出逢ってしまった作家です。

幼少期の家族の死、愛する妻・貞恵の死、原爆による大量無差別な死。

作品群『死と夢』が書かれた時期は、妻・貞恵の死の以前です。勿論、被爆前です。

幼少期より家族の多くの死に出逢ったことが、民喜の純粋で繊細な心に欠落感が生まれ、死への凝視とそして妄想を作り出したのです。

『死と夢』の各作品は、時空を超えて話が進行しますので、話を追うことに戸惑いを覚えます。しかし、原民喜の描く世界に身をまかせると、不思議なことに徐々に戸惑いが消えます。

私は、『死と夢』を読み進めているうちに、原民喜の代表作『夏の花』で描かれる世界に共通する何かを感じました。「何かが何であるか」を、具体的に書くことのできない自分にもどかしさが残ります。


『幼年画』

『幼年画』は1935年(昭和10年)から1941年(昭和16年)までに書かれた8篇に1948年(昭和23年)に発表した『朝の礫』を1篇加えた9篇からなっています。

原民喜自身の幼少期を書き留めています。彼自身が『雄二』という少年で登場するため、「雄二もの」と呼ばれています。

原民喜は、神経質な性格で無口でしたが、周りを凝視し記憶する力は、まるで写真か動画を撮るカメラのようであり、淡々とした筆致は記録映画を観ているようです。

子供が初めて出会うことへの戸惑いや、混乱、好奇心がとても分かりやすく描かれています。

すらすら読めます。原民喜の文章力に改めて驚きました。

私の子供のときの思い出とオーバーラップすることがたくさん描かれているので、懐かしさを覚えました。


Blogの外部リンク「総目次 原民喜の作品をお届けします」をクリックしますと、作品を読むことが出来ます。



by hitoshi-kobayashi | 2019-11-01 07:00 | Comments(0)

帯広市緑ヶ丘公園「彫刻の径」を過ぎたあたりに大きな歌碑があることに気がつきました。

本の話 帯広市緑ヶ丘公園の歌碑の事_f0362073_16274875.jpg


降りこめし雪ふかふかと物音吸ひ 夜の地表にひびく音なし

                            精盛


音もなく深々と降り来る雪は、まわり音を吸収してしまいます。静かないい歌である印象が残りました。歌を詠んだ作者は「舟橋精盛(せいもり)」。

札幌に戻り、「舟橋精盛(せいもり)」を調べ、彼の「歌集残日」(短歌新聞社昭和55年)を買い求めました。

きっと、「作者の心と自然との関係を視凝めた静かな歌が多い」のでは、と思っていました。

全く違いました。病気と闘い続けた日々の日常を詠んだ歌なのです。
一気に読みました。
病の辛さを率直に詠むことによって、どこか気持が解放されるのでしょうか。また歌を繰返し推敲し、より良い歌にしたいという強い思いが、病の辛さに打ち勝つ力になるのでしょうか。選び抜かれた言葉が、まっすぐに響きます。


  退院の章 昭和50

一滴の水を飲むさへ禁じられ生きつぎ来しよああ十三日目

胃を除りし凶つ年はよに逝けよかし師走なかばに詠む新春歌


  まきばの家

照る砂利をまぶしみにつつ登る坂一歩一喘といへ現身(げんしん)

野に森にみどりあふるるありさまは涙ぐましむ患越えし身に

胃袋を除りたつものを酒の慾あはれ断ち得ず業のごときか


  小樽行き

一年は長しともまた短しとも行き先小樽の汽車にいま在り


  日高・浦川行き 昭和51年 

凶つ年ははよ去(い)ねかしと棄てしごと氷雨(ひさめ)の畑に農人を見ず

昭和51年は冷夏のため多くの農作物に被害がありました。舟橋は若い頃、農業に従事していました。


  妻呼ぶブザー

過ぎ来しに骨詠み胃よみ肝よみき何処をうたひて病みはつるか

妻を呼ブザーを押せど直ぐに来ず商ひゐると知りつつ苛つ

「商ひ」とは、玩具屋の事でしょう。客がいることは分かっているが、病気で寝ている自身の苛立ち詠んでいます。


  夜の蚊

食事ごと胸の閊(つか)へにながす泪ふきくるる妻もまたなみだして

吾のため夜の蚊をとると臥所(ふしど)めぐり妻のうつ掌の寂しき音や

妻・麗子は舟橋が癌に侵され、余命が短いことを知っています。しかし、舟橋には告知していません。


  雨音

ひもじさを思へどすでに食へざれば責苦のごとき食事どき来る

盂蘭(うら)盆のふけゆく夜も咳きに咳き眠りのひまなるこの世も雨音


舟橋精盛 「歌集残日」の略歴から

 大正4年、北海道浦幌村上浦幌に生れる。

 昭和5年、本別尋常高等小学校卒業ののち実家の農業に従事、この頃より作歌を始める。

 昭和9年、第一歌集「少年期」を刊行

 昭和11年、旭川野砲聯隊(やほうれんたい)に入隊

 昭和13年、召集、北満済々哈爾(チチハル)に駐屯、北支、張鼓峰(ちょうこほう)、ノモンハン島に転戦。

 昭和15年、召集解除

 昭和20年、両側股関節結核で倒れ、以後10年近く闘病、転院。5度の手術を受ける。

 昭和30年、帯広市緑ヶ丘で玩具店「どんぐり屋」を開店。 

 昭和33年、結城麗子と結婚。

 昭和50年、帯広厚生病院にて胃潰瘍の手術を受け、胃のほとんどを切除。

 昭和53926日、帯広市文化賞を受賞、病床でその伝達を受ける。

 昭和53927日、同病院にて胃癌のため死去。行年64歳(6211ヵ月)

 昭和55年に「歌集残日」は、妻麗子の詩集発行の思いを、舟橋の友人たちが支え、刊行されました。


舟橋精盛は、病の辛さに堪えながら短歌を詠み、同人誌に投稿しています。舟橋自身も発表の場をつくるため同志とともに歌誌の創刊・廃刊を繰返し、作歌の指導に努めてきました。私が見た歌碑は、歌の同志が舟橋精盛の功績を後世に残すために建立したものです。


by hitoshi-kobayashi | 2019-10-14 08:00 | Comments(0)

本の話 最近読んだ数冊

高階杞一+松下育夫『共詩 空から帽子が降ってくる』 澪標 2019

本の話 最近読んだ数冊_f0362073_10314139.jpg

「共詩とは二人で作る詩の意味」で高階の造語。数行書いて松下にメールで送り、松下はそれに続いて数行書いて、高階へメールで返します。これを繰返して一つの詩を完成させます。

相手の次の展開を予測できないので、思わぬ方向に詩が広がる面白さがあるらしい。

9つの詩が編まれているが、シュールなイメージの広がりが楽しい。

そのうちの一つ「風の引き出し」に、身につまされるように気になった一連がありました。引用します。

 (略)

 人を愛するためには

 訓練をする必要があるのだと やっと知ったのです。

 わたしだけが参加するこのなかった

 遠い町での訓練が

 (略) 


マンガ日本の古典21

やまだ紫『御伽草子』 中公文庫 2000

本の話 最近読んだ数冊_f0362073_10320591.jpg

やまだ紫は、私の大好きなマンガ作家の一人です。書店で本書を発見したときは嬉しくて思わず跳びあがりました。この本には、「一寸法師」「鉢かづき」「長谷雄草子」「ものくさ太郎」「酒呑童子」「猫の草子」の六篇がマンガ化されています。彼女の絵の上手さと、構成力は天才的です。どの作品も、シンプルな線でありながら、登場人物は表情豊かに描かれています。残酷なシーンでも清潔感を感じます。やまだ紫は2009年、60歳で亡くなりました。

中公文庫「マンガ日本の古典」で古典作品をマンガ化しているのは、石ノ森章太郎、花村えい子、長谷川法世、水木しげる、横山光輝・・・・・・と、一時代を築いた作家たちであり、本作品以外もきっと面白いはずです。


『真実の眼――ガランスの夢 村山槐多全作品集』

村松和明(むらまつ・やすはる)著

株式会社求龍堂 2019

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書店で本作品集を見て、思わず購入しました。


村山 槐多(むらやま かいた、1896年〈明治29年〉915 - 1919年〈大正8年〉220日)は、明治・大正時代の日本の洋画家で、詩人、作家でもある。愛知県額田郡岡崎町(現在の岡崎市中核)生まれ、京都市上京区育ち。(ウキペディア)


天才と呼ばれた夭折の画家・村山槐多の絵、詩、小説、戯曲を網羅しています。

作品は図版でしか観ていませんが、観る人を惹きつける独特の力強さを感じます。

「死に急いだ」とも「生き急いだ」とも思える激情の人だったようです。


by hitoshi-kobayashi | 2019-10-05 08:00 | Comments(0)

大岡信(おおおかまこと、1931216 - 201745日)は、日本の詩人、評論家。東京芸術大学名誉教授。日本ペンクラブ元会長。一ツ橋綜合財団理事(ウキペディア)

大岡信は文芸の巨人です。大きすぎて近寄りがたく、遠巻きに眺めていた人物です。

本著で、大岡信は俳句・短歌を含む日本の詩の成り立ちを解りやすく随筆的に解説しています。

内村鑑三の思想に触れている章の冒頭に、内村鑑三の詩を紹介しています。私は、内村鑑三について知っているのは、彼が北海道大学で学び、キリスト教の思想家であることだけです。

紹介によると、内村鑑三は、日清戦争が勃発すると、〈日本が清国の植民地であった朝鮮半島の解放を目的とした〉聖戦であるとし、賛意を示していましたが。戦争勝利の後、日本国政府は戦前の清国と変らぬ政策を朝鮮半島に押し付け植民地化しました。内村鑑三は、このことに憤り、非戦論を唱え、戦争反対の意志を示し抗議しました。

運村鑑三の心境の変化の示す詩です。

日清戦争(18941895年)の勝利に湧く当時の世情を想像すると、この詩が明治29年(1896年)に発表されいる事に内村鑑三の洞察力と強い意志に驚きます。

大岡信、内村鑑三が、少しだけ近く感じてきました。


戦勝と喜ぶ軍人の蔭に、市井の人々の悲しみがあることに眼を向け、戦争の悲惨さを訴えています。


「寡婦(やもめ)の除夜」     内村鑑三

明治廿九年の歳末、軍人が戦勝に誇るを憤りて詠める


 月清し、星白し、/霜深し、夜寒し、

家貧し、友尠(すくな)し、/歳尽(つき)て人帰らず、


 思(おもひ)は走る西の海/涙(なんだ)は凍(こほ)る威海湾(いかいわん)

南の島に船出(ふなで)せし/恋しき人の迹(あと)ゆかし


 人には春の晴衣(はれごろも)/軍(いくさ)功(いこほ)の祝酒(いわひざけ)

我には仮りの佗住(わびずまい)/独り手向(たむく)る閼伽(あか)の水


 我空(むなし)ふして人充つ/我衰へて国栄ふ

貞を冥土の夫(つま)に尽し/節を戦後の国に全ふす


 月清し、星しろし、/霜深し、夜寒し、

家貧し、友尠(すくな)し、/歳尽(つき)て人帰らず。


(注、注は私がつけました。)

威海市(いかいし):中華人民共和国山東省最東部に位置する地級市。かつては威海衛(いかいえい)といった。

迹:足で踏んだ所や車の通り過ぎた所に残るしるしのこと

ゆかし:見たい・聞きたい・知りたい; 心が引かれる・ほしい

晴衣(はれごろも・はれぎぬ)):表だった席に出るときに着る衣服。晴れ着。

閼伽(あか):元来は客人の接待のときに捧げられる水。現在では仏前や墓前に供えられる水。


by hitoshi-kobayashi | 2019-09-27 08:00 | Comments(0)